建築形式
篤行十村の主な宿舍群は、日本統治時代の澎湖島要塞砲兵大隊用官舍、事務庁、連立宿舍、馬小屋などの施設建築で構成されています。日本統治終了後は馬公要塞司令部に接収され、外省人軍人用住居及び軍用サービス機関として使用されるようになりました。その官舍群の形態は主に一戸建て建築及び合併建築であり、建築構造の多くが基礎を上げた木造雨板建築で、屋根は日本瓦が葺かれ、室内は真壁で、部屋は引き戸で仕切られていました。その空間は、玄関、座敷、居間、縁側で構成され、台所、風呂、便所、押入などの空間が設けられていました。
篤行十村の木造建築の特色は低い長方形の平面で、間口が一間(約182cm)の低い屋根で、日本の沖縄地方の家屋の屋根に類似しており、半間(約91cm)のひさしで、家は橫に広がっており、浴室及び台所用の屋根より高い赤レンガ煙突があります。その低く長い傾斜の屋根形式は台湾のその他の地区の日本式建築ではあまり見られないものです。構造と工法は日本風ではあるものの、この土地の環境と部分的に欧米の造形が組合わせられています。日本統治終了後に新たに建てられた家は、土台はレンガ造りで、コンクリート瓦で覆われ、客間、部屋はとても狭くなっています。
官舍の配分には階級に基づいた一定の規則があり、新復路付近の多くが一戸建て建築で、復国路沿いは合併式建築となっていました。復国路1号から19号一帯は日本の「澎湖島要塞司令部」軍官、士官用宿舍及び馬小屋で、新復路は重砲兵大隊経理部、兵役課、主計部尉官以上の軍官用宿舍、新復路一巷は陸軍食糧運輸部の士官用宿舍で、新復路二巷は重砲兵大隊本部の士官用宿舍でした。
(写真をクリックし、拡大してご覧ください)